【生姜焼(しょうがやき)】ああ昭和!あのアントキの茶色い肉のウマいヤツ《マンガ&随筆「異種」ワンテーマ格闘コラム》Vol.19
【連載マンガvsコラム】期待しないでいいですか?Vol.18
◼︎妹・吉田潮は【生姜焼】をどうコラムに書いたのか⁉️
生姜焼
我が母は料理にニンニクをほとんど使わない人だった。ニオイが苦手なようだ。おかげであの独特のうまさと存在感に触れることなく、人生の初期を育ってしまった。もちろん口にしたことはあるけれど、薬味程度の存在感でしかなかった。
今から30年前。私が学生時代、アルバイト先の社長が老舗イタリアンレストランに連れて行ってくれたことがある。六本木の交差点からすぐの「シシリア」だ。
そこで初めて食べたのがペペロンチーノ。今でこそ誰もが知っているパスタだが、当時の私は知らなかった。唐辛子とニンニクのみのシンプルなパスタに、正直「具がなくて、貧乏くさいスパゲティだなぁ」と思った。食べてみたら、まあ、おいしい! ニンニクってこんなにおいしくてメインになりうるのか、と驚いた。
「こんなの食べたことないです! すごい!ニンニク!」と喜んでがっついたら、社長は大爆笑。ペペロンチーノを知らない田舎娘と馬鹿にされた記憶がある。ペペロンチーノどころか、ニンニクの偉大さを知らなかったんだよ、私は。
高校生までは基本、母の料理をベースに生きてきたが、大学に入ってほぼ外食の生活になり、ニンニクもクレソンもパクチーも知った。世界がぐんと広がった気がした。それまでは生姜とネギとシソがメインの母の世界にいたからな。
ということで、本題に入る。
生姜焼といえば、母の生姜焼がまず目に浮かぶ。美しい照りと甘みと脂が魅了する定食屋の生姜焼ではない。厚くて硬めの豚の赤身肉(ときどきロース)に、粗い生姜の繊維がこびりついた、決して甘くない生姜焼。それが母の生姜焼である。
他のご家庭では生姜焼ってどうやって作るのかな。レシピを検索すると、基本的には醤油、酒、みりんや砂糖を絶妙なバランスで入れるし、生姜は繊維を残さないようこまかくおろすのが鉄則のようだ。しぼり汁だけを入れるパターンもある。私自身は、はちみつや養命酒、コーラなどを実験的に入れて邪道な生姜焼を作ったこともある。養命酒って意外と肉料理に合うんだよね。味は推して知るべし、だけど。
で、母はみりんや砂糖を使わなかった。力強くおろした生姜と醤油につけた分厚い肉は、なんというかとても野卑で豪快な味だった。くし切りのたまねぎも入っているので、それなりの甘みはある。でも口の中で生姜のヒゲは存在感を誇示してくる。繊維がちょっと焦げたりもしていてね。
この野卑で豪快な生姜焼を、弁当箱一面にぎゅうぎゅうに敷き詰めた白飯の上にドーンと乗せる。プチトマトだのブロッコリーだのと、しゃらくせー彩りは皆無。一面茶色い「THE男飯」。2時間目が終わるとすでに空腹で腹の虫が鳴いていた中学生の私にとって、生姜焼弁当はごちそうだった。
確か、初めの頃は白飯とは別に盛られて、ほうれんそうだの卵焼きだのも一緒にいたはず。いつからか生姜焼が飯の上に乗るようになり、他のおかずを完全に排除。たぶん私が好きだと伝えたため、母も生姜焼も調子に乗った、いや、白飯に乗ったのだ。週に3日、この茶色い弁当だったこともある。
要するに、母はあまり料理上手ではなかったのだが、大人になって考えたことがある。もしかしたら、添加物の入ったモノを使いたくない気持ち、素材そのものの味を大切にしたい気持ちが、あの生姜焼を生み出したのではないか、と。
もちろん、みりんや砂糖を添加物扱いして敵視するのはどうかと思う。和食なんて、みりんと砂糖で断然うまくなるし、照りやコクも出るし、見た目も美しくなる。でもそれをあえて使わなかった母。甘くなるのがイヤだったのかもしれない。そういえば、卵焼きも甘くなかった。
チューブの生姜なんてもってのほか。なんなら皮ごと力強くすりおろしたワイルドジンジャーテイスト。母のこだわりをたどると、味や見た目よりも「体にいいもの」という信念があったのではないか。
豚肉だって、バラや小間切れのほうが脂もたっぷりで、柔らかくて食べやすい。そこをあえて厚くて硬い赤身肉をチョイス。しかもノーカット版。切らないし、隠し包丁も入れないので、迫力しかない。脂肪分控えめとか歯の健康とか、食育の一環ならば聞こえはいいが、そうではなかった。
実は母は肉の脂身が大嫌いなのだ。
昔、西武デパートのファミリー向けレストランで母が珍しくサイコロステーキを頼んだことがあった。出てきたのは脂身の塊のような代物で、烈火のごとく怒った母は店員を呼びつけ、別の料理に変えさせた。基本は低姿勢で愛想笑いが得意な母が他人に対してあんなに怒ったのは初めてだった。脂身に何か恨みでもあるのか?
自分が嫌いな食材や添加物の入ったものは使わない。わりと素材そのものを豪快に使う。母の料理の哲学はそんな感じだった。
時は過ぎ、私ももうすぐ50歳。実家へ行ったとき、久しぶりに母が生姜焼を作ってくれた。驚いた。うまいのだ。なんか照りもコクもあって、生姜のヒゲも口に残らないし、こころなしか肉もやわらかい。昔食べた生姜焼とは全然違う。いったい母に何が起きたのか?!
やっと砂糖やみりんを使い始めたらしい。そら30数年もたてば、アップデートというか、進化もするわな。母に当時のレシピを聞いてみた。
「あの頃は、生姜ももったいないから全部入れたの。体にいいとか、そんな高尚な考えはない。いいみりんや砂糖は高いから使わなかった。とにかくお金がなかったからねぇ」
赤身肉を切らずにまるっと使ったのも、少量でボリュームが出るからなのか。すべては金の問題だったか……。
贅沢や華美を嫌い、何事にも過ぎた質実剛健を最善とする母。生姜焼はその権化だったんだな。まあでも、1日3食、牛馬のごとくよく食べる娘の食欲に、少ない予算でよくぞ対応してくれたよ。あの生姜焼には感謝している。私の思春期と成長期を支えてくれたのは、間違いなく母と生姜焼だから。あの無骨な生姜焼にはもう会えないと思うと、ちょっとだけ寂しい気もする。
(連載コラム&漫画「期待しないでいいですか?」次回は来月中頃です)
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